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大阪地方裁判所 昭和45年(タ)27号 判決 1970年6月15日

原告 武藤茂夫(仮名)

被告 武藤広隆(仮名)

主文

原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間に実親子関係が存在しないことを確認する。

原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間に養親子関係が存在することを確認する。

訴訟費用のうち、本訴につき生じたものは被告(反訴原告)の負担とし、反訴につき生じたものは原告(反訴被告)の負担とする。

事実

一  原告(反訴被告、以下単に原告という)訴訟代理人らは本訴として主文第一項同旨および訴訟費用は被告(反訴原告、以下単に被告という)の負担とする、との判決を求め、その請求原因として、

「(一) 被告は父原告と母武藤よし(後に復籍し太田姓となる)との間の長男として昭和一〇年六月二五日大阪市○区○○○○町○丁目○番地において出生した旨の原告届出同年一一月二六日○区長受付にかかる戸籍上の記載がある。

(二) しかし、真実は次のとおりである。すなわち、原告は昭和一〇年一一月二六日太田よしと婚姻し、その後昭和三六年三月一三日大阪家庭裁判所において右よしと調停離婚をしたのであるが、右婚姻前の同棲期間中二人の間に子が生まれなかつたので、昭和一〇年六月末ごろ奈良県○○郡○○○町○○○番地の○において○○商をしていた寺本良男の妻で右よしの姉にあたるみよの世話により、右寺本方の近所で引き取り手がなかつた被告を貰いうけ、原告とよしとの間の長男として前記出生届をしたものである。

(三) 従つて右出生届は真実に反するのであり、原告と被告との間に実親子関係は存在しないものであるから、これが確認を求める。

(四) なお、原告は本訴提起に先だち被告を相手方として昭和四〇年度中に大阪家庭裁判所へ親子関係不存在確認調停を申し立てたが、同年一一月二九日不成立に終つた。」

と述べた。

二  被告訴訟代理人らは本訴につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および主張として、

「(一) 請求原因(一)の事実を認める。

同(二)の事実中、原告とよしとの婚姻および離婚の事実を認めるが、その余の事実は否認する。

同(三)は争う。

同(四)の事実を認める。

(二) (1) 原告は素行が悪く女関係の出入りが多かつたから、被告が原告とよしとの間の子でないとしても、原告と他の女性との間の子である可能性が十分考えられる。

(2) 仮に被告が原告の子でないとしても、

(イ)  原告は、被告を真実に自分の子として養育する意思でよしとの間の長男として出生届をし、その後三〇年間に亘つて子を持つ親としての喜びを体験し、被告もまた、原告を真実の父と信じてその生活を共にしてきたのである。しかるに原告は、自ら右出生届により虚偽の事実を作出しながらこれに関し何の責任もない被告に対し、突然自分の子でないと主張し被告に精神的打撃を与えた。原告のかかる主張は信義則に反するものである。

(ロ)  原告が右のごとき主張に及んだのは、よしとの離婚や後妻光子との再婚につき被告から反対されたこと、再婚後光子との間に長男文夫をもうけたこと、あるいは自己の経営する○○業と被告が別個に経営する○○業との間に経済的利害の対立を生じたこと等に起因するものと考えられる。しかも被告は、従来どおり原告の子として生活できさえすれば原告に対しそれ以外に何ものをも要求しないとの心情を有しているものである。これらの事情、および親子関係において子の幸福を第一義とする法の趣旨からすると、自己の感情ないし利害打算の上に立ち被告に対する精神的社会的虐待を意図した原告の本訴請求は権利の濫用というべきである。」

と述べた。

三  被告訴訟代理人らは、本訴請求が認容される場合の予備的反訴として、主文第二項同旨および訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、その請求原因として、

「(一) 被告は、父原告と母よしとの間の長男として昭和一〇年六月二五日大阪市○区○○○○町○丁目○番地において出生した旨原告より○区長に対する届出がなされ、同年一一月二六日受付により戸籍上に記載された。

(二) ところが、原告は突然被告に対し原被告間に親子関係は存在しないと主張し、本訴においてこれが確認を訴求するに至つた。原告の右請求が不当であることについてはすでに本訴において被告の主張として述べたとおりであるが、仮に原被告間に実親子関係が存在しないとしても、以下の事実により原被告間には養親子関係が存在するものというべきである。

(三) 原告が前記のごとく被告を自分の実子としてその出生届をしたのは、被告をいわゆる「藁の上から」育てたいとの親の愛情と、他人の子であることを被告に知らせまいとする配慮に基づくもので、右届出にあたり原告が被告を自分の子として養育する意思を有していたことは疑いがない。従つて原告は、右出生届によりまさに原被告間に養親子関係を設定する意思を表示したものにほかならないのである。

(四) 被告は、出生以来原告およびよしの子としてその養育のもとに成人し、昭和三八年九月九日舟橋照子と婚姻した際にも従来の被告の戸籍をもととして夫婦の新戸籍が編成され、三〇歳になつて始めて原告から実の子でないと聞かされるまで原告の実子であることを疑わなかつた。

(五) 縁組が要式行為とされているのは縁組の意思表示を明確にし、これを公示するためである。そして、縁組の本体は嫡出親子関係設定の意思と親子関係にふさわしい生活事実であるから、右のごとき嫡出親子関係設定の意思としての縁組の意思表示は、嫡出子出生届によつても十分その要式性を充たすものである。身分関係においても当事者の意思目的に応じた実質的な解釈を重んじ、被告につき出生届が無効であつてもこれを縁組届としていわゆる無効行為の転換が認められるべきである。」

と述べた。

四  原告訴訟代理人らは、反訴につき「被告の反訴請求を棄却する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および主張として、

「(一) 請求原因(一)の事実を認める。

同(二)の事実中、原告が被告に対し親子関係不存在の確認を訴求している事実のみを認める。

同(四)の事実中、被告が三〇歳になるまで原告の子であると信じていたとの事実は否認し、その余の事実を認める。

同(三)および(五)は争う。

(二) 被告は、昭和三五年一〇月六日夜○○○○株式会社社員増山利助に対し、自分には生みの親もあり仕送りもしている、などと述べたことがあつた。

縁組は、本件出生届がなされた当時の改正前民法八四七条、七七五条および戸籍法に従い、その所定の届出により法律上の効力を有するいわゆる要式行為であり、且つ右は強行法規と解すべきであるから、その所定の要件を具備しない本件出生届をもつて縁組届があつたとみなすことはできない。

殊に、他人の子を自らの出生子として虚偽の届出をすることは、後日法律上の紛議をもたらす原因となるものであるから、虚偽紛飾を真実なものに回復し、戸籍および実際生活を法律上正しい血縁関係に是正する必要があり、このことが虚偽出生届の悪風を抑止することにもなるのである。」

と述べた。

五  証拠として

(一)  原告訴訟代理人らは、甲第一ないし第九号証(但し、第七号証は原本の写)を提出し、証人太田よしこことよし(第一回)、同中西元一、同南条浩、同寺本育子、同寺本洋子の各証言および原告本人尋問(第一、二回)の結果を援用し、

(二)  被告訴訟代理人らは、証人太田よし(第二回)、同寺本育子、同寺本洋子、同篠崎善司の各証言、原告(第一回)被告各本人尋問および鑑定人松倉豊治の鑑定の各結果を援用し、甲第四号証の成立は知らないが、その余の甲号各証の成立(但し、第七号証は原本の存在および成立)を認める、と述べた。

理由

一  本訴について

公文書であつて各成立を認める甲第一ないし第三号証、第五号証、証人篠崎善司の証言により成立を認める同第四号証、弁論の全趣旨によつて原本の存在と成立を認める同第七号証、証人太田よし(第一、二回)、同中西元一、同寺本育子、同寺本洋子、同篠崎善司の各証言、原告(第一、二回)被告各本人尋問および鑑定人松倉豊治の鑑定の各結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  原告(明治三九年八月一六日生)は昭和八年ごろ、○○○のゲームとりをしていた太田よし(明治四一年二月四日生)と事実上の夫婦関係を結び、大阪市○区○○○○町で同居生活を始め、昭和一〇年一一月二六日婚姻の届出をした。

(二)  同居生活後一年半ほど経つて二人の間にまだ子ができなかつたところ、奈良県○○郡○○○町に住んでいたよしの長姉あやこと寺本みよからよしに対し、他から子を貰つて育ててはどうかとの話がもちかけられた。当時よしは、年齢的にも、また原告との夫婦生活の期間からみても、原告との間に未だ子ができないことはあながち不自然ではなかつたが、体質的に不妊ではないかと思い、そのころ病院で子のできるように施術を受けたことがあり、みよに子ども一人は早く大きくしておく方がよいと勧められたので、原告にこの旨を話した。そこで、原告はその後みよに会い、同女から、いわゆる義理の悪い子で、出産間近であるが引きとり手がないから是非貰つてやつて欲しいと強く勧められたので、男の子であれば貰うことを決め、よしもこれに同調した。この間みよは原告にもよしにも子の実親が誰であるかを明さず、原告らも自分たちの子とする以上ことさら追求することなく、みよにすべてを任せていた。

(三)  まもなく昭和一〇年七月初めごろ、原告とよしはみよから連絡を受け、同女の家へ出産後一〇日位になつた被告を貰いに行つた。みよは被告の産着などを作り、また被告の出生日を原告らに伝えた。原告は実の子として育てたいから後日親が連れ戻すことのないよう念を押し、よしと共に被告を前記○○○○町の自宅に連れ帰つた後、被告の名を付け、同年一一月二六日大阪市○区長に対し、みよから聞いた出生日に従い被告が昭和一〇年六月二五日同区○○○○町○丁目○番地において原告とよしの長男として出生した旨の届出をした。

なお、右出生届は前記原告とよしの同区長に対する婚姻届と同日になされたものである。

(四)  爾来原告はよしと共に被告を自分たちの子として養育し、高等学校を経て○○大学経済学部に学ばせた。原告はよしと夫婦生活を始めた当時○○関係のブローカーをしていたが、その後自ら代表者となつて○○○○株式会社(以下○○産業と略称する)を経営していたので、被告は昭和三六年ごろ右大学卒業後○○産業の仕事の手伝いをした。この間、原告およびよしと被告との家庭生活は真実の親子の生活と異なるところはなく、被告は他人から羨まれるほど原告に大事にされた。ただ、さきの戦争中、突然被告の父と称する者が原告方を訪れ、被告に会わしてほしいと言つてきたことがあつたが、原告は怒つて追い返したため、被告の知るところとならず、また被告は一度高校二年生のころ、他人から、お前はお母さんの方からの養子か、と聞かれたことがあつたが、別にそのことを気にかけず、一貫して原告とよしを真実の父母としてうけとめてきた。

(五)  ところが昭和三五年ごろ、原告はよしと不和になり、大阪家庭裁判所に対しよしを相手方として離婚の調停を申し立て、昭和三六年三月一三日右調停の成立により二人は離婚するに至つた。そしてよしは、原告との結婚生活中一度も妊娠したことはなかつたのである。原告とよしの右離婚のころ、被告は右離婚問題や○○産業の仕事上のことで原告と意見が対立したとき、原告に対し、自分は養子ではないのかと口走つたことがあつたが、これに対し原告は、不義理な子として生まれたのを引きとつたのだと言つたことがあつた。その後被告は舟橋照子と結婚することになつたが、原告は同女がバーの女であることなどを理由にこれに反対し、到底被告の結婚式に出席しそうにない態度であつたので、被告は結局挙式しないまま昭和三八年九月九日照子との婚姻届をした。そして同年一一月二七日被告夫婦の間に長女典子が出生した。他方原告は、よしが自分の許を去つた後明石光子(大正一五年五月一〇日生)と再婚することにし、被告に対し光子と半年先位に結婚する旨を告げた。被告はそれまで光子に一度会つたにすぎなかつたので、将来自分の義母になる以上どのような女性であるかをさらに知りたいと思つていたにもかかわらず、原告から右再婚話をきいた約一週間後に早くも結納が交されたことを知り、原告にその不満を述べ憤慨の態度を示した。しかし原告は昭和三八年一二月九日右光子との婚姻届を了し、その後昭和四〇年三月二四日光子との間の長男文夫をもうけた。

(六)  右のように原告とよしとの離婚のころから原被告間に対立的な感情が生じたが、昭和三九年一月ごろ当時○○産業の専務をしていた被告は、原告から、お前は気ままに育つていて苦労をしていないから二、三年苦労をして来るようにと言われたので、被告自身の蓄えた金七〇万円を資金として、原告経営の○○産業と別に○○の仕事をすることにした。そして○○産業をやめたいと言つて来た従業員四人ほどと共に同年四月ごろから○○業を始めるに至つた。右従業員らは○○産業において工務部の主要な業務を担当していた者であり、これらの者を被告方で働かせることにつき被告は原告の諒解を得なかつたので、被告の右処置は原告の憤りをかつた。さらに、原被告の仕事が同業であつたため得意先との関係にも争いを生じた。爾来原被告間の関係は円満を欠き、二人の間に穏やかな話し合いは殆んど行なわれなかつた。

(七)  原告は、昭和四〇年大阪家庭裁判所に対し被告を相手方として親子関係不存在確認の調停を申し立てた。右調停において、被告は前記みよの世話で貰われてきたことなどの経緯を聞くに至つたが、たとい原告の財産を相続しなくてもよいし、原告の後妻やその子に迷惑はかけないから、原告との親子の縁だけは続けて欲しいと望んだため、同年一一月二九日右調停は不成立となつた(右の如き調停の申立およびこれが不成立の事実自体は当事者間に争いがないことに徴して認める)。この間被告は、商売上の得意先などに頼み原告との話し合いを望んだが、原告が応じなかつたため現在までその機会は得られなかつた。

(八)  なお、原告は若いころからいわゆる女道楽をし、そのような関係で長く付き合つた女性も数人あり、よしとの結婚後も他に関係をもつた女性がないわけではなかつた。そして昭和二八、九年ごろから関係をもつた林チヨ子との間に二人の女児をもうけ、昭和三七年二月二一日これらの子につきそれぞれ認知届をし、以来毎月養育料を支払つて現在に至つている。よしは、被告を貰い受けた当時原告に女道楽の性質があることから、被告が原告と他の女性との間の子ではないかとの疑いをもつたこともあつた。また、前記みよの二女寺本育子は昭和三六、七年ごろよしや叔父の太田金治から、被告は原告が他所でこしらえた子である旨の噂を耳にしたことがあり、またこれまでに原被告の顔がよく似ていると評する人もいた。他方被告については、○○産業の社員の中に被告が生みの母に仕送りしているとの噂をする者もあつた。しかし、被告が原告以外の真実の父に会つた形跡はない。

(九)  原被告の各血液型、指紋および顔貌相似度の検査に基づく鑑定人松倉豊治の鑑定では、原被告間に親子関係が存在することを積極的に否定しうる根拠は見出されなかつた。

以上の事実を認めることができ、甲第四号証の記載の一部ならびに証人太田よし(第一、二回)、同中西元一の各証言および原告(第一、二回)被告各本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、被告はよしが分娩した子ではなく、従つて原告とよしとの間に出生した嫡出子ではないことは明らかであるばかりか、原告がよし以外の女性との間にもうけた子でもないことが知られる。しかし、前認定のごとく原告は若いころからいわゆる女道楽をし、よしと夫婦生活に入つてからも他に女性関係があつたものとみられるので、この後者の点については若干の疑いが残る。たしかに原告が三〇歳に満たない年齢で、しかもよしと夫婦になつた後未だ一年半ほどの時間に被告を引きとつたことは、たといみよに強く勧められ、且つよしに不妊の懸念があつたとしても、他人の子を貰うにしては若干不自然の感を免れない。しかし、被告を原告とよしに世話したみよがよしの姉であり、通常妻にとつて好ましからざる夫と他の女性間の子を、姉として妹よしに事実を秘して世話することは、特別な事情がない限り容易にこれを育定することはできず、本件においてかかる事情を認めるべき資料は見当たらない。また、みよの二女寺本育子が昭和三六、七年ごろ被告は原告が他所でこしらえた子である旨の噂を耳にしたことは前認定のとおりであるが、右は単なる噂にすぎず、格別それ自体をとりあげるには値しないといわねばならない。更に前出松倉鑑定の結果によれば、原告と被告との顔貌相似度検査では総合相似度において真の親子関係間にある程度見られる範囲に属していること、そして右検査と血液型および指紋の検査を加えても原被告間においては積極的に父子関係を否定し得る根拠はないことを知ることが出来る。しかし、いうまでもなく、右の鑑定結果は、原被告間の父子関係を絶対に肯定しなければならないということまで指し示すものではない。要するに原告が女道楽であつたという事実は、被告の出生当時に関する限り原告の一般的な女性関係についてのことがらであつて、相手の女性を特定しえず、さらに特定の女性と被告との結び付きも証拠上明らかでない本件においては、被告が原告の実の子であるとの点は単なる憶測の域を出ないものであるから、原被告間に実親子関係が存在しないとの判断をするにつき何ら妨げとなるものではない。従つて、原告と被告との間に実親子関係は存在しないものというべきである。

なお、被告主張の信義則違反および権利濫用の法理を以てしては、いまだ右の如き事実関係に基づいて原被告間に父子関係が存在しないことを確認するのを妨げることはできないこと勿論である。

二  反訴について。

原被告間に実親子関係が存在しないことは本訴の判断において述べたとおりであるが、前認定の事実に則して本件における原被告の生活関係をみると、原告とよしは、昭和一〇年七月ごろ、生後一〇日位の被告を自分たちの子として養育すべく貰い受け、原告はよしとの婚姻届の同日即ち、同年一一月二六日被告を自己の長男として嫡出子出生の届出(以下本件出生届ともいう)をし、爾来少なくとも昭和三六年ごろまでは全く真に親子にふさわしい円満な共同生活の実体を有したことが明らかである。そして、本件出生届の点を暫く措けば、右はまさに養親子関係における共同生活そのものにほかならない。これを事実上の養子縁組として若干の法領域における保護のみに甘んじさせるか、出生届の縁組届への転換を認めることにより法律上の縁組としての効力を認めるべきかについては、従来議論の存するところである。縁組の要式行為性を厳格に解するときは、所定の縁組届によらない限り法律上縁組関係を生ずるいわれはないのであり、身分関係の画一的な確定や虚偽出生届の防止という観点などから要式性を強調する意義は十分これを認めることができる。しかし一方、虚偽の出生届に基づき戸籍上の父母を真の父母と信じ生活を共にしてきた子が、実親子関係の不存在が明らかにされた結果少なくとも一旦は無籍者としての不利益を受けること、しかも子としては虚偽の出生届につき何ら責められるべき筋合でないことを考えると、厳格な要式性を絶対視することのみが必ずしも身分法秩序の理念に合致するものとは言えない。むしろ、右のような立場にある子を保護すべき特別の法制のない現在、縁組を要式行為とした趣旨に副い且つ単なる便宜論を回避しつつ、解釈により子の法的地位の安全をはかる努力がなされて然るべきである。

そこで先ず本件出生届により縁組意思の要式性が充たされたといえるか否かについて検討する。一体かかる要式行為性をどこまで絶対視すべきかは、結局そこでの意思表示の明確化の要請の程度にかかわるものであると考えられるところ、縁組の場合元来それによつて創設される養親子関係が重要な身分関係として高度の明確さをもとめられることは肯定されてよい。しかし、縁組届に具体化される意思表示の本体は、嫡出親子関係の設定にあるといつてよく、この点嫡出子出生届(以下単に出生届という)のそれと、創設的か報告的かという届出行為の性質の異別はともかく、彼此基本的には共通する要素をもち、且つ後者によつたからといつてその限りにおいては明確性をそこなうものでないことは明らかである。従つて縁組届という要式行為により実現されるべき養親子関係の設定という意思表示が、虚偽出生届のなかに潜在するとみて、かような届出をも右本来の要式に転換して考え得るとすることは、前記要式性の要請に背馳して絶対に許されないものであるとまではいえない。なお、届出という様式行為にともなう身分関係の公示の機能については、届出自体の問題としてではなく、それに基づく戸籍上の記載の問題として検討すれば足りるものと考えられる。

ただ、原則として縁組届による親の縁組意思なるものは、事実他人の子を自己の嫡出子とするにあるのに対し、出生届に具体化される意思は、事実自己の子を自己の嫡出子とする点、嫡出親子関係の設定という共通の平面に立つても、なお両者を同一視し得ない契機が存する。さきに述べたように、他人の子を恰も自己の子の如く出生届することのうちに、縁組意思の本体が潜在すると考え得るとしても、それは出生届をかりる限りにおいて本来の縁組届による縁組意思そのものではない。そこに、ふつうの養親子関係以上に濃い親子関係を設定しようという心情ないし意図のみをみるのは一面的で、養親子関係を始めからあらわにすることを躊躇するそれをも、同時にみてとるのが経験に則した客観的なみかたというべく、このことに鑑みれば、縁組意思そのものとしては、ぜい弱さがかくされているとみて差し支えない。このような、いわば検証されることを要する縁組意思は、後の事実上の養親子関係即ち親子らしい生活事実に裏づけられて、右の本来の縁組届による縁組意思と同一視し得るとすべく、かくて出生届の縁組届への転換も可能となるといわなければならない。しかし、本件の場合は、前認定のとおり、この生活事実の裏づけについては、問題は全くない。

次に本件出生届当時被告が一五歳未満の幼児であつたことから縁組における代諾意思が問題となる。本件では改正前民法八四三条所定の「其家ニ在ル父母」にあたる者が被告を原告らの子とすることにつき承諾を与えたとの事実はもとより、被告の実父母が誰であるかについてさえ証拠上明らかではない。元来、養子となる者が一五歳未満の場合に父母(現行法上は法定代理人)の代諾を必要とするのは、縁組を契約関係とみて当事者の能力を補充するためである。従つて、代諾はあくまで無能力者の利益においてなされる建前ではあるが、結果的に子の利益に適合しているからといつて安易に代諾の欠缺が治癒されたとすることはできない。ところで、出生届の性質上これによつて要式としての代諾意思が表示される方途はない。しかし、代諾意思が縁組届に表示される意味は、主として右の意思を明確にする点にあると考えられるから、実質上これに相当すべき明確な代諾意思が存在した場合にはこれをもつて足りるものというべきである。そして、生みの親側の事情として、子を縁組させることが可能であつたにかかわらず、あえて自己との実親子関係を秘し、直接他人の嫡出子として出生届をすることを希望ないし認容していたと認められる場合は、単に縁組の形式を回避したにすぎず実質的に子の縁組についての代諾があつたものと解して妨げないであろう。しかも、通常実親子関係が世間に明らかになることを避けようとする生みの親には事実上右の希望ないし認容があるものと推定されるから、第三者や子を貰う側の要求等により生みの親の意思が無視されたとみられる特段の事情が存在しない限り代諾意思の存在を認めて差支えないものと思料される。本件においても、不義理の子だから貰つて欲しいと言われた前認定の事実からみて、少なくとも右のごとき実父母側の事情があつたものと推認することは可能であり、反面、前記特段の事情に相当すべきものは見当たらない。しかし、右に述べた点は、出生届の縁組届への転換の問題が虚偽出生届をされた子の事後的法的保護にあることに鑑み、具体的にかかる保護の必要性を生じた時点において、当該子につき代諾を要する年齢である場合にのみ届出当時における右意思の存否ないしその後の追認の有無として顧慮すれば足りるものと考えられる。本件において、被告は原告との間に実親子関係の存在しないことが明らかにされた時点では既に三四歳に達しているのであつて、出生届の縁組届への転換の問題の中でみる限り、この点において既に代諾の存在を顧慮すべき立場にはないと言えるのである。このような場合に、なお出生届当時代諾意思を欠いたとの一事をもつて縁組としての効力を否定し去ることは、当事者たる子の利益のためにある制度をその不利益にのみ機能させることになり、容易にこれを容認することはできない。従つて本件被告については、代諾権者や被告自身の明示または黙示の追認ないしその擬制を考慮するまでもなく、代諾の欠如はこれを不問に付して差支えないものというべきである。

なお、本件出生届は前出甲第一号証によつて明らかな如く、旧戸籍法七二条に基づき原告が届出たもので、縁組における夫婦の共同(改正前民法八四一条)名義の形式に副わないことは事柄の性質上当然であるが、この点においても実質上夫婦の共同意思が存在することをもつて足りるというべきである。本件において原告と妻よしが共同して被告を貰い受ける意思を有していたことは前認定の事実により明らかであるから、夫婦共同縁組の実体において欠けるところはない。

以上に述べたところから、本件において原被告は単に事実上の養親子関係にあるにとどまらず、本件出生届により縁組としての要式性をも充足し、従つて原被告間には法律上有効な養親子関係が存在するものというべきである。この場合なお残る問題は右養親子関係の成立時期である。親子としての生活事実および代諾に関し先に述べたところのいわば転換の要件は、出生届以後の事実にかかわるものである。しかし、このことは必ずしも論理必然的に右要件が具備されるに至つた時点を縁組の成立時期とすべき理由とはならない。右の事後的要素は転換に関する判断の一要素であつて、生活事実の蓄積そのものに法律上の養親子関係の形成作用を与えようとするものではないのみならず、身分行為における画一的取扱いの必要性、および出生届により既に一応は嫡出子として公示され、実際生活上もそのように取扱われてきた点を勘案すれば、養親子関係は出生届の時点において成立したものと解するのが相当である。従つて本件においては、被告につき本件出生届がなされた昭和一〇年一一月二六日に原告およびよしと被告との間に養親子関係が成立したこととなる。

なお、養親子関係には離縁、縁組取消をはじめ、養子と実父母との関係等につき実体法上および戸籍法上において実親子関係との差異があるため、出生届に基づく戸籍の記載をそのままにして養親子関係ありとした場合には種々の不便が予想される。しかし、法律上の親子関係成立の場において出生届の縁組届への転換を認めることと、戸籍上の記載をいかにすべきかとは、おのずから別問題である。そして、身分関係の公示の重要性に鑑みるときは、多少の技術的困難があるとしても真実の身分関係に則した公示の存在することが身分関係の明確性、法的安定性にも合致する所以であるから、出生届の縁組届への転換を認めて養親子関係の存在が確認された場合は、右確定判決に基づき養親子関係としての実体に則した戸籍の訂正がなされて然るべきである。

三  以上により、被告との実親子関係が存在しないことの確認を求める原告の本訴請求ならびに原告との養親子関係が存在することの確認を求める被告の反訴請求はそれぞれ理由があるので認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用した上、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高野耕一 裁判官 石田真 裁判官松本克己は転任につき署名、捺印できない。裁判長裁判官 高野耕一)

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